顔に向ける眼差し

大下裕司 | 大阪中之島美術館準備室学芸員

 小池一馬はこれまで絵画や彫刻を中心に制作し、神話や日常といった観点から着想を得た作品を発表してきた作家である。2015年 ごろからは、作品に用いるモチーフを古い偶像、植物、壺などに発展させていき、現在では絵画だけでなくセラミックによる彫刻作品も制作してきた。それらはメソポタミア美術の神像であったり、先住民族のトーテムポールのようでもあったり、あるいは動物や異形のような見た目、姿をしている。本展で示された作品の多くが、「顔」そのものが 形態の全体であるかのようである。

 造形的に何をモチーフにしているかを想起しやすい一方で、それらがどういった指示性を持っていたかは、我々は実際にはよく図ることができない。それがどのような神話の中に位置付けられた存在であった神像なのかは、多くの先達たちの尽力によって今日では簡単に調べることができるが、例えば古代メソポタミアの世界にとって、どのようなものであったのか、どういった精神性に関係していたのかを知ることに留まり、その神像や神話を信仰しているというわけではない。古代文明のような風体、動物に見える形態の持っていたはずの直接的な知とは根本的に異なっている。今日では神話や伝説に信憑性をもって受け取る者は非常に少ない。そうしたものに残された用語や名称を媒介にしたアニメやゲームの流行に顕著なように、かつてそれらが有していたある種の信憑性は現代では忘れ去られ、形骸化している。さもすれば、アニメのキャラクターや世界観の設定に古代文明や先住民族の伝説や名称を用いて、時には歴史上の人物の性別までをも変えて消費する現象は、かつて西洋美術が西洋とは異なる文脈からの到来として、印象派などが日本の浮世絵や南方諸島の美術を援用し、またキュビスムやフォービスムなどにおいてはアフリカ彫刻やオセアニアの原始民族美術へ近寄ったプリミティミスムの現代版のような状況でもある。

 そうした作品の形態と連動するかのように、小池はこれまでの作品と異なり、タイトルを記号的なものにすることによって、作品がタイトルによって物語的に指示されることから距離を取ろうとしている。作品タイトルに付されている「BC」とはブラック・セラミックの頭文字である。文字通り黒く塗られた陶器のシリーズであることを示し、同様に砂絵のようなマチエールの絵画作品に付された「TP」は、テクスチャード・ペインティングというシリーズであることを表している。その後に続く数字はその作品が完成した日付である。いずれもそれが黒い彫刻であること、材質感のある絵画であるということ以外の指示性のない淡白なものだ。形式的なものにすることによって、タイトルが内容を想起 させることを避けようとすることは、小池が作品に用いるモチーフが、すでにその形態から、かつて持っていた神性が抜け落ちていることを示唆していると同時に、神話に物語的に触れることをしない作家自身の立場を反映しているようでもある。

 「顔」は他者の現れであるとはよく言ったものだ。例えばレヴィナスの「顔」という概念は、私の前に立ち現れてはいるが、私には認識されないという両義的な側面をもっている。つまりそれは、表象とは常に表象ならざるものの表象でもあるだろう。どれだけ目の前にそれが出現していたとしても、絶対的にたどり着けないところにいる存在に対し、我々が今日的な感覚で他者や他物と気軽に呼びかけるとき、他者の現前にそのように名付けるときには、その対象を記号的に捉えているようでありながら、記号的にしか触れることのできない理解の外側から問われていることでもある。もはや時代の変遷により掴みようのなくなったモチーフも、形式的に付されたタイトルも、観者を何らかのメッセージの元に誘うことはしない。ここで示されているのは、これらのモチーフがかつて意味性を持っていたという事実やその喪失性ではなく、また意味性を失って空洞化した記号の現在的な様相でもない。確かにかつて神性や霊性が憑いていたモチーフは、そうであるがゆえに記号であり、指示や命令を持って見せた。小池が作品を介して見せるものとは、そうしたモチーフが空洞化した状態にある時限から、別の状態へと変化していく状況に発生する緊張関係なのではないか。小池の作品をプリミティミスムの位置に置くのではなく、そうしたことを可能にしてしまう状況と、それが在る現在の、緩やかな緊張関係について向き合うことで、変化によって記号化していくうちにある記号化しえないもの、その両義的な状況が表現されていることが見えてくる。 

 小池の祖父は庭師だったという。造園業とは、自然と人工の間(あわい)にある緊張感を最大化することで、風景を記号化する業(わざ)であると言える。鉢植えの木とクレート、石と彫刻といった対比的なインスタレーションに見るそれらの状態変化には、人の手による加工が印象的に映るかもしれない。しかしそれと同時に、実際には我々が自然と呼ぶものにも、人工とするものにも、そのどちらの姿も存在している。我々が神話や先住民族文化を、括弧書きにしてそのように呼ぶ時の現象を、タイトル─モチーフ─インスタレーション─観者という間の行き来によって起こる変化と重ね合わせている。本展はそうした異なる状況の共存と同時性という「顔」に、状態の変化という座標から批評的に向き合っていると言えるだろう。 

Solo Show at TEZUKAYAMA GALLERY, Osaka
24 Jan – 22 Feb 2020
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